「さすがにこの溶けたチョコレートは、もう食べられませんね。
こっちのお酒が入っていたグラスは、やっぱり取りには来ないでしょうね」
「取りに来ないものを、どうしてわざわざ拾うんですか?」
「これが、仕事だからですよ。
落し物は拾いに来るか来ないかなんて関係なく、
全て保管しなければならないのです。
それに私が拾っているのは正しくは物ではなく、
落とされた記憶です。
大事な場面、大事な記憶なのに、
パズルの一ピースが欠けてしまったみたいに忘れていることが、あるでしょう?
私が拾っているのは、そういう記憶なのです。
おそらくチョコレートを落とした彼女は、
自分がもう一つのチョコレートを持っていたことは覚えていても、
それをどうしたかは忘れてしまっているでしょう。
グラスを忘れたお姉さんも、
明日になれば別のグラスをとりに台所へ向かうでしょう。
だから、落し物なのですよ」
「それを拾って、どうするのですか?」
「だから、保管しておくのです。稀に、引き取りに来る人もいますからね」
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